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東京高等裁判所 昭和32年(う)2270号 判決 1958年3月04日

控訴人 被告人 荒井登

弁護人 市原利之

検察官 田辺縁朗 他一名

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣旨は末尾に添附した弁護人市原利之並びに被告本人のそれぞれ差し出した各控訴趣意書記載のとおりである。

市原弁護人の控訴趣意第二点について

原判決が原判示第二の事実関係につき挙示する標目の各証拠を綜合して考えれば、右の事実はこれを肯認するに足り事実誤認の疑はなく、当審における事実取調の結果によつても右の認定を左右するに足りない。論旨は被告人は本件自動車を無断で持出しはしたが、一時使用の後権利者に返還する意思があり、完全に権利者を排除するが如き意思は全然なく、また権利者の暗黙の承諾を予期して行動したものであつて、権利者の意思を無視して敢えて無断使用に及んだものではないから、いわゆる使用窃盗であつて被告人の本件所為は窃盗罪を構成しないと主張するのであるが、刑法上窃盗罪の成立に必要な不法領得の意思とは、権利者を排除し他人の物を自己の所有物と同様にその経済的用法に従いこれを利用し又は処分する意思をいうのであつて、永久的にその物の経済的利益を保持する意思であることを必要としないことは、最高裁判所判例(昭和二十六年七月十三日第二小法廷言渡)の示すとおりであるところ、原判決の説示する如く、たとい使用後返還する意思がある場合であつても、その使用がその財物の価値の消費を伴うときは、もはや単なる使用ではないこと勿論であり、また使用の時期や期間の如何によつては、権利者がその物を経済的用法に従つて利用することを妨げられるものであることを知りながら、権判者の意思を無視して敢えてこれを無断使用するような場合は仮令その使用期間が一時的であつたにせよ、権利者が自由にその物を利用できるという権利を完全に排除する意思があるものと認めるのが相当であるから、かくの如き場合は単なる使用窃盗ではなく、窃盗罪を構成するものと解すべきである。そしてこれを本件について考えるのに、なるほど被告人は本件犯行当時、本件自動車を他に売却あるいは入質しようと企て、あるいは使用後これを乗りすてようと企てたり等した形跡は証拠上認めることはできないのであるが、被告人の司法警察員に対する昭和三十二年五月二十一日附各供述調書、被告人の検察官に対する昭和三十二年五月二十二日附供述調書を綜合すれば、(一)被告人は本件犯行の二十日位前から本件自動車の扉の合鍵をひそかに岡村方から持ち出していること、(二)本件犯行の当日も右の合鍵を携帯して、しかもパチンコ遊戯場を営む岡村方では未だ店を開いておらない時刻であることを十分知りながら午前七時頃にはすでに本件犯行現場に赴いていること、(三)本件自動車を持出す際にもまた持出した後においても、十分その機会があつたのに岡村に対し承諾を求めようとしなかつたこと、(四)本件自動車の扉には鍵がかかつていたのに所携の合鍵をもつてあけていること、(五)昭和三十二年五月二十日午前七時頃から翌二十一日午前一時頃、緊急逮捕されるまで本件自動車を自己の支配内におき乗用する等、その経済的用法に従い利用していること等の事実が認められ、また原審第二回公判調書中の証人岡村昇、同山村竜成の供述記載を綜合すれば、権利者岡村昇は本件自動車を日常の乗用として利用すると共に夜間遅くその所有の各所の店舗をまわるために必ず営業上利用していたものであること、岡村は本件自動車を他人に貸与するようなことはなく、一日と雖も貸すことはしなかつたこと等の事実が認められ、且つ原審第二回公判調書中、被告人の供述記載により明らかなとおり、被告人はかつて右岡村方に八ケ月位勤務したものであり、退職後も同人方に出入りしていたものであるから、岡村方の本件自動車の利用状況も十分知つていたものであると認められるのであつて、以上の各事実を綜合して考えれば被告人は本件自動車を権利者たる岡村の営業上の利用にさえ支障を来す程の長時間使用することには岡村から到底承諾を得ることはできないと考え、当初から使用について同人の承諾を求めようとする意思は全くなく、岡村の意思如何に拘らずこれを無視して長時間使用せんとする考えであつたと認めるに十分であつて、況んや岡村の暗黙の承諾を予想しての行為であるなどとは到底認められない。従つて所論の如く使用後返還する意思があつたとしても、一時的にせよ権利者を排除する意思があつたものと認めるに十分であるから被告人には不法領得の意思があつたものというべく、原審が被告人の本件所為に対し窃盗罪をもつて問擬していることは相当であり所論の如き違法は存しない。それゆえ論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 加納駿平 判事 山岸薫一 判事 鈴木重光)

弁護人市原利之の控訴趣意

第二、原審判決には擬律錯誤の違法あり、この点破棄を免れないと思料する。

(一) 本件に関しては原審判決理由中弁護人の主張に対する判断(記録一二〇丁)に示さるる如く、窃盗罪の成立するためには、不法領得の意思があることを要すること、その不法領得の意思なる観念も亦通説として正に、原審の指摘されるとおり、又、大審院、最高裁判所の判例の示されるとおりである。然して判例、通説の示すように、不法領得の意思が、原審指摘のように「完全に権利者を排除する意思ある限り、その権利者の排除は一時的たると、永続的たるとを問わない。」とされることも通説として、首肯出来得るところである。然しながら、本件の場合、当該自動車の使用が不正領得の意思、それが然も完全に権利者を排除する意思が、あつたか否かが問題であつて、各記録を通じてみても、被告人にはその意思を推認すべき事実がないのである。即ち、一時使用の目的でもつて持出した点は、何人と雖も、記録を一読したのみで肯認出来得るところであつて、従つて、一時使用の目的で、勿論、返還する意思の下で持出したのであるから、所謂、使用窃盗として罪にならずと思料するのである。

(二) 原審判決理由は、この点に関して(記録一二〇丁裏)「而して使用後返還する意思がある場合であつても、その使用が物の性質上、その経済的価値を著しく消耗したり乃至は滅失したりする場合の如きは勿論、使用の時期や期間の如何によつては、権利者が、その物を経済的用法に従つて利用するのを妨げるものであることを知りながら権利者の意思を無視して敢て之を無断使用する場合の如きは、その使用期間が一時的にせよ、権利者が自由にその物を利用(処分)できるという権利を完全に排除する意思があるものと認めるのが相当であるから、使用窃盗であると解すべきではない。」として本件に当てはめ、窃盗罪に問擬したのである。然しながら、その「権利者の意思を無視して」との点は、本件の場合、被告人の行為は、まことに軽卒ではあるが、第一点中に論述したように、本件の場合、被告人は、権利者岡村昇の暗黙の承諾を予期して行動したので、この事は、さきに記述したように、弁護人の公判廷における質問(記録五一丁)で「若し、被告人が証人(註、岡村昇)の自動車を使つたことが、はじめから判つておれば盗難届を出すようなことはしなかつたのか」との問に対して、岡村昇は「始めから知つておれば届けは致しませんでした。」と明言しているのに徴しても、明らかである。本件被告人と被害者といわれる岡村昇との特別事情にある両者の関係において、岡村昇との従前からの、自動車利用関係のあつた経緯から見た場合、権利者の意思を無視したものと断じ去る訳には行かないのである。

如上の見地よりみて、原審が被告人の意思を推認して権利者を完全に排除する意思まであつたと、推認することは具体的事情に即応しない抽象的判断であると解せざるを得ない。

然して原審は、その法理を維持するために(記録一二一丁裏)本件事実にこれを当てはめ、「被告人が斯様な長時間而も営業上利用することまで妨げられる様な時間に及んで使用することは、到底承諾を与えなかつたものと認められる。」と権利者岡村昇の真意の那辺にあるかを未だ充分追及せぬまま、これを憶測して、被告人の事前の鍵の持出しと関連させて故意犯として処刑しているのであるが、被告人の事前の合鍵持出しこそ逆に、何時でも使用させて貰えるという自信から、その時、自動車を借り出す用意のため偶々持参していたのであるから(記録八五丁、被告人供述調書)被告人の軽卒、勝手な所為は非難さるべきであるが、この事、自体が、権利者岡村昇と被告人との特別事情を前提として考察出来うるのである。

従つて、本件の場合、被告人の行為は、如何なる意味に於ても、不法領得の意思が、あつた訳ではなく、単に、一時的使用のために、権利者岡村昇の車を自己の所持に移した行為であつて、単なる使用窃盗に過ぎないと論断なし得るのであつて、この法理は、つとに、大審院判例及び同趣旨として御庁昭和二六年(う)第六七八号、同年一二月二七日、(東高刑二判、東高刑時報一巻一五号二三七頁)判決の認めらるるところである。

(三) 然して、原審は本件、使用の時間が延び過ぎて(記録一二一丁)「翌二十一日午前一時緊急逮捕されるまでの間之を自己の支配内において、乗用する等、相当の時間に亘つて侵害した。」と指摘し、非難しているが、この事実は、被告人の供述調書(記録三二丁以下)及び原田告雄の供述調書(記録三三丁以下)に述べられているように、万寿園の女店員の急病入院のため、被告人が車を置いたまま、入院の加勢をしたり、最後に運転中の車のエンヂンが焼けて車を止めて手当をした等の、全くの不可抗力に基因して時間的に延引したのであつて、具体的には状況上巳むを得なかつたことと云わざるを得ない。

本件の場合、若し被告人がその後、車を岡村昇方に返還に行つたならば、ひどく叱責されたことも想像に難くないが、被告人と岡村昇との従前の関係よりみれば、結局、それなりに終る程度のものであつたと思料出来るのである。

(四) 原審判決は、その理由中、弁護人の意見として(記録一〇一丁)本件は被害者の推定的同意ある場合に当るので、違法性を阻却するとの主張を否定しているのであるが、被害者に該当する岡村昇及びその経営する店舗の支配人である山村竜成の本件記録に著われた各供述調書によれば、その両人の供述を通じて流るる一貫せる真相は、本件控訴趣意の真実性を裏ずけるものである。そして又、被告人の各供述調書、特に被告人の第二回公判調書に著われた(記録六五丁以下)裁判長に対する答弁を更に検討すれば、事の真相は、まことに明らかになるのである。げに承諾は犯罪の成立を阻却する、斯る被害者の推定的同意のうかがわれる私益犯罪において被害者の宥恕の気持が明瞭に汲みとれる本件の場合、あたかも検察官の論告の如く被告人の不利益の点のみこれを追及するは、裁判のとるべき真の姿ではないと思料さるるのである。被告人が今や若冠且つ軽卒のためとは云え、斯る犯行を推認されて科刑され、その主文朗読中、驚がくの余り、卒倒した被告人の真面目にして気弱なる性格の故に、殊更に窃盗前科者として実社会に送らさせたくなく、法理の上に於ても、使用窃盗として被告人の無罪を立証し、主張する次第である。

以上論述したように、原審はその判決中、罪となるべき事実第二に於て、単に、被告人が岡村昇こと金永万の妻李東春所有の自動車を窃取しとなし、あたかも、被告人が単純に自動車を窃取したかの観をみるの判示をされたのであるが、ここに所謂窃取は、事実に対する法律上の断案を付したものと云うべく、事実真相の判示をなしたものではない。

従つて、其の真相を究明され、事実に基ずく御明断を仰ぎたく希求する次第である。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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